2025年5月30日金曜日

SSTR初挑戦!雨と寒さを乗り越え、千里浜へ感動のゴール!

バイクをこよなく愛する皆さん、こんにちは!

今回は、私にとって初めての挑戦となった「SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)」についてお伝えしたいと思います。

雨の中のスタートから石川県千里浜での感動のゴールまで、忘れられない記録をお伝えしたいと思います。 


SSTRってどんなイベント? 

SSTRは、太平洋側から日の出とともにスタートし、日没までに石川県の千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイにゴールすることを目指す、バイクのツーリングラリーイベントです。

全国各地からライダーが集まり、それぞれのスタート地点から千里浜を目指します。

単に距離を走るだけでなく、道の駅などでポイントを獲得したり、地域の応援ポイントに立ち寄ったりと、ツーリングと冒険の要素が詰まったイベントなのです。 

今回で13回目を迎えるSSTRとなりました。


準備も楽しみの一つ! 

SSTRにエントリーすると、事前にゼッケンが郵送されてきます。このゼッケンをバイクに貼り付けるのが、いよいよ始まるぞ!という気持ちを高めてくれます。

私のバイクにも誇らしげにゼッケンをペタリ。 

ゼッケンはイベント終了後も記念に残したかったので、ゼッケンシールをラミネートに貼りつけた上で両面テープで固定しました。

さらに、このゼッケンをモチーフにオリジナルのSSTRグッズを作るのも参加者の楽しみの一つのようで、SSTR諸先輩がたのアイデアを参考に私もいくつか作成しました。 


ルート設定も楽しみの一つ♪どこを通ろうか、雨だったらどうするか、あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返してました。

SSTRのHPでは初心者向けのガイダンスも掲載されており、行程表を作ることを薦めていたため、私もそれにならって作成しました。(これはやっておいて良かったです)


天気予報とにらめっこ

日が近づくにつれやっぱり気になるのは天気。
バイク乗りとしては雨よりも晴れの日に気持ちよく走りたいと思うのは常。ましてや日の出、日の入りを冠してるイベントなので尚更ですね。

そんな想いとは裏腹に出走日はどの天気ニュースを見ても☂️マークのままでした💦


いざ、スタート地点へ! 

私がスタート地点に選んだのは神奈川県鎌倉市七里ヶ浜でした。
晴れていれば富士山も望める綺麗な場所なので、日の出に映える富士山を拝んでスタート出来たら最高なロケーションだと思います。

自宅から七里ヶ浜まで2時間程度かかることになりますが、初参加ということもありなるべく体力を温存したいと考え、前日にスタート地点近くに移動して仮眠出来る場所で待機する方針としました。

待機する場所に選んだのはスタート地点近くのスーパー銭湯「竜泉寺の湯」でした。
前日から既に雨が降っており、カッパにブーツカバーと完全武装した格好で向かいました。

立体駐車場になっていたため、バイクも雨をしのげたのは良かったですし、雨で冷えた体を温泉で温まる事が出来、また夕食も美味しく頂きました。

それから午前2時の営業終了まで、休憩室で仮眠を取らせてもらい、その後はさらにスタート地点近くのマクドナルドへ移動です。もうすでに土砂降り状態でございました💦

スタート地点の七里ヶ浜駐車場に着いて知った事ですが、夜間閉鎖で駐車場は入れず。。
仕方なく駐車場の門の前で、日の出時刻まで待つことに。

待っている間、ちらほらとSSTR参加者のバイクが走っていき、思い思いのスタート地点に向かっていました。



そして待つこと10分ほどで日の出時間を経過、ついにスタートです!
早速江の島辺りからスタートしたであろう参加者の方とお互いエールを送り合います。

土砂降りの出発となり、正直これが道中ずーっと続くなら「マジか…」と心が折れかけましたが、これもまたSSTRの醍醐味と自分に言い聞かせ、雨を楽しむ気持ちでアクセルを開きます。 


雨、そして時折の青空 

土砂降りの中を走り続けること2時間ほど。最初のチェックポイントにしていた山梨県の「道の駅つる」に到着。徐々に雨足も弱まり、一瞬青空が覗く瞬間も!「ひょっとしてゴールは晴れてくれるんじゃね?」そんな思いもよぎって、めっちゃハイテンションなってました(笑)



わずかに太陽の光が差し込む景色は普段のツーリングでは味わえない特別なものがありましたし、そのわずかな太陽の暖かさが背中を包んでくれる感覚はとても幸福感を味わえました。


チェックポイントで着実にポイントゲット! 

SSTRのゴール条件を満たすにはいくつかのチェックポイントでポイントを獲得する必要があります。

道の駅などに立ち寄り、SSTR専用のアプリを使って着実にポイントを稼いでいきました。

他の参加者と思われるライダーとのすれ違いも多く、お互いにエールを送り合っているような、一体感を感じられました。 


今年の元旦に大きな地震に見舞われ、さらには豪雨災害に打ちひしがれた石川県能登への応援の気持ちを込めて、能登の被災応援ポイントにも3箇所立ち寄りました。


少しでも力になれればという思いと、現地の状況を肌で感じることができた貴重な経験でした。 


感動のゴール、そして達成感 

そして、ついに!ゴールの千里浜なぎさドライブウェイに無事到着しました!

残念ながら曇り空で夕陽を見ることはできませんでしたが、全国各地からゴールしたライダーたちの表情は皆、達成感と喜びにあふれていました。






私もその一人として、言葉にならないほどの感動を味わいました。 前半は土砂降りの雨、後半は気温が下がり寒さとの戦いでしたが、この達成感は何事にも代えがたい貴重な体験です。


バイクでしか味わえない、この特別な経験。

SSTRは、私にとって忘れられない素晴らしい一日となりました。 来年もまた参加したい!そう強く思わせてくれる、最高のイベントでした。 

SSTR初参戦レポート、いかがでしたでしょうか?

※写真はAIで夕陽の背景に加工

このブログ記事が、SSTRの感動を伝える一助となれば幸いです。


追記:スタートからゴールまでのYouTube 動画を作成しました。(字幕オンでご覧ください)

2022年7月6日水曜日

息子のイベント出演記:パフォーマンスキッズ・トーキョー、ダンス公演「おどろどろんこどんどきゅう」

皆さん、こんにちわ、今回は小学3年生の息子が参加したイベントの様子と感想を綴りたいと思います。

芸術家と子どもたち(children-art.net)という非営利団体(NPO)が主催する各種イベントが開催されています。

今回初めてこうした取り組みを知りましたので、お子さんをお持ちの方たちに少しでもこの活動を知って頂く、興味を持って頂く機会となれば幸いです。



NPO法人「芸術家と子どもたち」とは

1999年に発足し、2001年からNPO法人として活動を始めた団体です。

現代のアーティストといまの子どもたちが出会う「場づくり」を提供すること

を目的に掲げています。

場づくり」を提供することで以下の機会を創る支援をされております。

●子どもたちにとって<潜在的な力を存分に発揮し伸ばす
●アーティストにとって<子どもたちと関わり、新たな表現を探る

上記ミッション実現に向けた主要な5つのワークショップを定期的に開催されています。

各ワークショップの詳細は公式HPをご確認頂ければと思いますが、これらのワークショップの1つとして今回息子が参加させて頂いたのが

パフォーマンス・キッズ・トーキョー(略してPKT)

でした。

PKTは公益財団法人「アーツカウンシル東京」というもう1つの団体と共同して実施されるワークショップとなっています。

ダンスや音楽など様々なジャンルで、子どもたちが主体となりプロのアーティストの支援を受けながら一緒に舞台作品を作り上げ、そして公演という形で披露する取り組みです。

イベントに参加したきっかけ

このイベントを知ったきっかけは、小学校からのお便りで出演者募集のチラシでした。

チラシの「おどろどろんこどんどきゅう」というタイトルを目にした時は「うん?何だこれ?」というのが率直な印象でした(笑)

ただ「どろんこ」とあるように土を題材にしていること、更にダンスとアートが組み合わさった舞台ということで息子も興味津々でやってみたいとすぐに意思表明してくれました。

息子の幼稚園時代を振り返ると、お遊戯会の演目「ピノキオ」でゼペットおじさん役を演じて長いセリフをしっかりこなし、立派に演じ切ってくれた時の事を思い出していました。

当時の写真

あの時と同じようにこのイベントを通して感動をもらえる、観ている人たちに感動を与えることが出来るなら応募しない訳にはいかないなという事で応募し、幸運にも出演のチケットを射止める事が出来ました。

イベントを通して出会ったアーティストの方たち

今回この作品の舞台演出とアートを担当して下さったアーティストの皆さんを簡単では御座いますがご紹介したいと思います。

青木尚哉さん

16歳でダンスに出会い、プロとしての振付家、ダンサーとして活躍されています。
主にzer0というプロジェクトを通して、様々なジャンルでのイベント、ワークショップなど積極的に活動されています。

https://zero-dance.com/

HP掲載の青木さんプロフィール

間中ムーチョ(まなかむーちょ)さん

女児玩具デザイナーなどを経て、絵本「にんげんさまへ」など、様々なアート活動をされています。絵本は2019年にイタリア・ボローニャ国際絵本原画展において入選するなど高い評価を受けています。

HPを見て頂くととても素敵な作品が沢山並んでいますので是非ご覧ください!

https://manakamucho.jimdofree.com/


木原萌花(きはらももか)さん
芝田和(しばたいずみ)さん

ももかさん、いずみさんは、青木さん率いるzer0のメンバーでありダンサーとして活躍されています。今回子供たちを引っ張って行ってくれたとても素敵なお二人です。

zer0 HPに掲載の木原さんプロフィール

zer0 HPに掲載の芝田さんプロフィール

イベントまでの道のり

イベントは本番を含めて10日間のワークショップが実施されました。

PKTにおいての基本的なプロセスとなっているようで 7/3の本番に向けて基本的に毎週土日にワークショップのスケジュールが組まれました。


実際のスケジュール表

ワークショップ連絡帳

また、ワークショップはアーティストと子どもたちが集中して取り組めるよう本番までは非公開で行われることとなります。

初回の顔合わせで緊張の面持ち

非公開ではありますが、公式SNSなどでワークショップの様子を垣間見る事が出来て、私たち観る側もどんな舞台になるのだろうと日を追うごとに期待が高まっていきました。

SNSでワークショップの様子を発信頂いてました

屋内での実施ではありますが、ワークショップを終えた息子を迎えに行くと汗いっぱいで「あぁ、疲れたー」と唸っていましたが毎回その表情には清々しさが表れていました。

本番当日の様子

そして迎えた本番当日ですが10時から最後の稽古に臨んでいました。

14:00 開場でホールには多くの観客の方が来て頂いておりました。

14:30 から公演が始まってすぐに息子が舞台に登場しステージを気持ちよくスキップで何度も駆け抜けていきます。

間中ムーチョさんがこの日のために用意してくれた土の衣装を身にまとい真剣な表情で演技していました。また、間中さんのアート作品がスポットライトに照らされて舞台がより一層彩られていきました。

     パンフレットから本番舞台を想像して頂ければ。

子どもたちも土にくるまってはまた動き出したりと色々と面白い動きを見ているとこちらも楽しくなってしまいました。

特に参加者みんなが土に向かって語り掛けるシーンを見つめていたら私自身も土に対する感情移入というか、私達にとって非常に大切な存在なのだなととても考えさせる印象的なシーンでした。

そして舞台も佳境を迎える頃、土という存在の偉大さを物語るような、帯のように描かれた絵が滝のように流れ出てくる演出に圧倒されておりました。

こうして無事に舞台も終わり、観客の方からも多くの拍手に包まれておりましたし、出演者の皆さんの表情がとても晴れやかに見えました。

終演後はロビーに集合し、最後のワークショップとなるお別れの会が催され、本番の振り返りと一人一人感想を述べて労をねぎらっておりました。

そして最後にお世話になったアーティスト、スタッフさんに息子とともにこれまでの感謝をお伝えして別れを惜しみつつも解散となりました。

イベントを通して感じた事

今回は「土」をテーマにした舞台でしたが、昆虫好きでもある息子は土の中に住む虫たちの気持ちになって面白い動き、アクションを自分なりに考えてくれたのかなと想像しています。

このイベントを通して「自分で考えて行動する」ことを学ばせてもらったと思いますし、青木さんをはじめスタッフの皆さんが子供扱いすることなく一個人、対等な出演者として接してくれたことは息子にとって心が成長するきっかけを頂いたと思います。

最後に、イベントの中心的役割で最後までリード頂いた青木さん、アートへの情熱を感じさせてくれた間中さん、出演者と心を一つにして素晴らしいパフォーマンスを見せて下さった木原さん、柴田さん、そして事務局として出演者を常にケアして下さった青木さん、スタッフの皆さんに改めて感謝しております!

また皆さんとご一緒できることを願っております!

2021年9月4日土曜日

【夏休みの思い出】カブトムシたちから生命の大切さを教えてもらいました

皆さん、こんにちわ。

今回は子供たちの夏休み期間中に家族みんなでお世話してきたカブトムシとクワガタたちの思い出を綴っていきたいと思います。

昆虫を飼うきっかけとなったのは小学二年生になる息子が興味を持った事でした。

我が家に最初にやってきたのは息子の友達が譲ってくれた小さなクワガタの雄でした。
その後、近所の公園でカブトムシのオスやメスを自ら採取する事が出来た事で大変喜んでいました。

息子が夢中になってる姿を見て妻も昆虫図鑑や昆虫のひみつといった本を見つけてきて一緒に昆虫の生態を学んでいました。

私も息子と一緒に虫アミ片手に公園に探しに行ったのですが毎回成果ゼロ。。一方で妻と一緒に行くとカブトムシに出会えるというジンクスも生まれました(笑)

長女と次女は虫が大の苦手、、のはずだったのですがカブトムシとクワガタは例外のようで弟が可愛がってる姿を見てその安心感から家族みんなで可愛がるようになりました。

カブトムシたちの一日振り返り

朝になると子供たちは飼育ケースから庭の芝生の上を散歩させます。

散歩の後はカブトムシたちのごはんを補充です。

ごはんは樹液の成分に似せた昆虫ゼリーを与えます。ホームセンターで購入出来て黒糖味とフルーツ味の2種類を与えていました。

虫たちが過ごす土も専用の昆虫マットというものが販売されています。この昆虫マットは幼虫にとってはごはんとなる、まさに母なる大地といった感じです。

虫たちが快適に暮らすには昆虫マットにある程度水分、湿気が必要となるので毎日表面の湿り気具合を見ながら霧吹きで水をかけてあげます。

その他、昆虫ゼリーをセットするための木製のエサ台に朽木、枯れ葉を配置します。

枯れ木は湿気によってカビが生えてしまうため頻繁に天日干しにしたり表面を削ったりを繰り返し清潔な環境で過ごせるよう努めました。

基本的に夜行性ということで昼間の様子はというと、雌たちはマットの中、雄たちは枯れ葉の下に身を隠して暮らすという感じでした。

夜になるとみんな活発に動くようになります。時折夜中にバサバサっという羽音がなって最初は気になっていたのですが、それも自然と慣れてしまいました。

夜どのくらい活発に動いているのかをアクションカメラで定点観測してみたのですが、このミヤマクワガタのメスなのですが飼育ケースをところ狭しと繰り返し歩き回っておりました。


夏の終わりとともに訪れたカブトムシたちとの別れ

その後も私が奥多摩にツーリングに行った際に購入したミヤマクワガタのつがいなども増えていき最終的には飼育ケースが大小合わせて6つまで増えておりました。

カブトムシたちにはそれぞれ名前を付けて愛着をもちながら世話しておりました。

  • カブオ、チビオ、ハヤオ、カブスケ(カブトムシのオス)
  • カブコ、チビコ、カブミ(カブトムシのメス)
  • ミヤオ(ミヤマクワガタのオス)
  • アーモンド(ミヤマクワガタのメス)
  • クロ、アカ(ヒメノコ)

今年の夏休みもコロナ禍で子供たちも羽を伸ばして思いきり遊ぶこともできず、お盆休みに実家への里帰りなどもできずにいましたが、そんな中カブトムシたちが子供たちの心を和ませる存在となっていました。

次女は虫たちの写真をかわいらしく加工したり、息子は折り紙でたくさんのカブトムシやクワガタを生み出しておりました。


そんな楽しい時間を過ごしていましたが、夏の終わりが近づくにつれ、虫たちの別れが相次ぐこととなりました。

カブトムシやミヤマクワガタが成虫として過ごす期間はおよそ1~2か月となっています。

厳密に管理された飼育であればより長く生き続けることが可能のようです。

全くの初心者だった私たち家族も書籍やネットの情報から少しでも長く生きてもらえるよう努力してきましたがやはりその時はきました。

カブオとミヤオ、そしてチビオが立て続けに天国に旅立ったときは子供たちはショックだったようです。

4番目に旅立ったのはハヤオという体が一番大きく元気に動いていたカブトムシのオスです。

そんなハヤオも少しずつ動きが鈍くなっていき前足も自由が利かなくなってしまいました。見ている私たちも痛々しい気持ちになっていたのですが、そんな満身創痍な体となってもハヤオは残された4本の足で常に前へ前へと歩みを止めませんでした。

バランスを崩してはひっくり返ってしまい自力では起き上がることが出来なくなってしまいました。

ハヤオが亡くなる前の3~4日間は家族みんなでハヤオの様子を見てはケアをしていました。

かなり体力が衰えてしまい今夜が最後のお別れかも、と何度も思っていましたが、本当にハヤオという子は命ある限り前を向き続けていたと思います。

最後は触覚のみを僅かに動かす程度でしたが、妻や次女、息子に最後を看取られて天国に飛び立っていきました。

カブトムシたちから生命の尊さ、大切さを教えてもらいました

息子がきっかけとなり家族みんながカブトムシたちに解像度高く接した夏休みとなりました。

生あるもの、いつかは別れが来るという営みをカブトムシたちは身をもって教えてくれたと思います。

健気に、たくましく命の灯の続く限り、歩みを止めない姿に非常に胸を打たれました。

人間が誕生する以前の太古の時代から生命を紡いできた昆虫たち。

幼虫からさなぎ、成虫になる過程。木々や土に再び活力を与える役目までも果たしている虫たちの偉大さ、素晴らしさを知りました。

同時にこうした生命を育んできた、かけがえのない地球を守っていかなければならないと改めて感じた夏休みでした。

最後に息子と次女で合作した絵本(アニメーションGIFなので画面切り替わります)をシェアして締めくくりたいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございました!



2020年8月15日土曜日

第9回関根バレエスタジオ発表会を通して感じたこと

 皆さん、こんにちわ

今回は8/13に行われた長女が参加する関根バレエスタジオ第9回発表会の様子をお伝えしたいと思います。


こちらのブログで過去にもバレエ発表会の投稿をしていますが、今回はコロナウィルスによっていつもとは異なる発表会となりました。

今回はそんないつもと違った発表会の様子とともにコロナ禍における個人的な感想を交えてお伝えしたいと思います。

いつもと違う点①開催時期

毎年4月末〜5月初旬に開催されますが、緊急事態宣言なども発令され、一人一人がステイホーム、外出自粛の生活となり、学校や図書館、市民ホール等の公共施設の利用が制限されたため、開催自体が危ぶまれていましたが、発表会の開催を3ヶ月延期しようやく開催にこぎつけた発表会でした。

いつもと違う点②練習風景

発表会は年次のイベントであり、バレエスタジオの生徒は皆、発表会を目標にしてレッスンに励んでいますが、通常のレッスンもコロナ感染を起こさないためにマスク着用し、スタジオが
蜜とならないよう人数を分散して練習に励んでいました。

発表会が近づくと市の総合体育館などを借りて合同練習が複数回開催されます。
いつもなら合同練習は3月〜4月あたりで比較的穏やかな時期だと思うのですが、今回は時期的に梅雨のジメジメした時期と重なりました。

スタジオと同様に体育館でもマスク着用しての練習なのですが、ちょっと想定外の事が起きておりました。

それは気温が一定温度を超えないと体育館のエアコンが使用できないという事でした。
梅雨なので気温はさほど高くないのですが、湿度は高いためとても不快な状況が想像できると思います。

換気のため窓を開放してはいるもののエアコンを使用できず不快さが増している中、マスクを付けて通しのレッスンは大変な練習だったと思います。

いつもと違う点③会場への入退場

いつもなら発表会会場は観覧したい方は自由に出入りが出来ていたのですが、今回はチケット制による全席指定となりました。

全席指定といっても密にならないよう、1列開けた形となり、収容数もかなり制限された状態でした。

生徒の家族、スタッフなど観覧者の名簿を事前に提出して、万が一コロナ感染者が発生した場合でも追跡ができるような対策も取られていました。

受付では妻がスタッフとしてお手伝いしたのですが、フェイスシールドを装着しての対応。
チケットも入場者自身で半券を切り取り、受け渡しで接触を避けアルコール消毒を徹底しておりました。

いつもと違う点④終演後の出待ち禁止

発表会終演後、ロビーでは参加者と観覧者とが写真撮影や花束、プレゼントの受け渡しなど、労をねぎらう歓談の場となるはずでしたがそれも取りやめとなりました。

コロナ禍であっても変わらないもの

このようにいつもと違う発表会ではありましたが、その中でも変わらないものが1つありました。

それは発表会に参加している生徒さん全員が一生懸命になって感動を与えてくれた姿でした。

そんな発表会の雰囲気を少しでも感じてもらえるよう簡単ではありますが以下にまとめます。

今回の発表会は3部構成となっており、1部「小品集」、2部「ドン・キホーテ」三幕抜粋、3部「シンデレラ」全編となっておりました。

長女は1部で「海と真珠(せむしの仔馬より)」からパド・トロワ(男性1名、女性2名)を披露しました。
ゲストの先生である栃木バレエアカデミー高井先生をお迎えして、スタジオで同じクラスの中学二年生の女の子と息のあった演技で魅了してくれました。


2部の出番はありませんでしたが、ドン・キホーテの他の演技者の華麗な踊り、特に見せ場となったキトリのグランフェッテは凄いの一言に尽きると思います。これは是非リアルに足を運んで堪能してほしいと改めて感じました!

3部は皆さんとても馴染み深いシンデレラの演目です。
継母と娘ドリゼラ、アナスタシアにいじめられるシンデレラの姿がコロナに脅かされる人々の感情を重ねて見ておりました。

暴力という負の連鎖に負ける事なく、自身の内面にある優しい心を持ち続けることで苦境を乗り越えていけるものだと改めて感じました。

長女は春の精役として、淡いピンクの衣装を纏い、夏、秋、冬の精とともに群舞している様子もとても綺麗な光景でした。

そしてフィナーレを迎えた発表会ですが、観覧者はいつもより少ないはずなのに会場内は何度となく大きな拍手で包まれておりましたし、華麗な演技を通してコロナなどを忘れさせてくれ、心穏やかに癒やされた一時を過ごす事が出来ました。

ゲストの先生をはじめ、皆さんがとても華麗な演技を見せてくれましたし、長女の演技も昨年以上に素晴らしく今回も目頭が熱くなっておりました。

最後に

コロナによってどうしても行動が制限されたり、気持ちが萎縮してしまいがちですが、バレエ発表会を通して、こうした状況だからこそ人々に感動を与えるものが人を動かす、人に力を与える大切な事だなと強く感じました。

Withコロナ時代はリモートでのやりとりが重要視されていますが、やはりリアルに時間と空間を共有して少しでも多くの人に感動を届けられる活動を私も出来る限り応援していきたいと思います。

来年はまた無事にバレエ発表会が迎えられることを願いたいと思います。

2019年12月30日月曜日

今までありがとう!〜奥さん実家の小さな家族たちとの思い出〜

今回は奥さんの実家で暮らしていたにゃんこのお話を綴っていきたいと思います。

実家には二匹の可愛い猫たちが暮らしていました。

それぞれピースケとハナという名前ですが、長年暮らしているので猫というよりも完全に家族の一員という存在でした。

過去形でお話ししているのは年下のハナちゃんは2年前に亡くなり、今月の12/16にはピースケも天に召されていきました。

ハナちゃんは17歳、ピースケは21歳と9カ月の一生を終えました。


ピースケ
ハナ

沢山の思い出と安らぎを残してくれた猫たちの軌跡を少しでも残しておきたくブログに綴りました。

猫たちの生い立ち

私の妻とピースケが出会ったのは、まだ妻が`大学生の時代まで遡ります。

バイト帰りに生まれて間もない猫の赤ちゃんが公園に捨てられているところに偶然遭遇し、拾ってきたのが最初の出会いと聞いています。

捨てられた子猫は二匹だったのですが、一匹は衰弱が激しく間もなく亡くなってしまったそうです。

ピースケも衰弱はしていたものの、一生懸命に看護した甲斐もあり持ち直してくれたそうです。その後20年以上も元気に暮らせていたのはピースケが生まれながらにして生命力の強さを備えていたのかもしれません。

ハナちゃんとの出会いも義母が生後1ヶ月くらいの時に道端に捨てられていたところを拾い上げて帰ってきたのでした。当時は顔も傷ついていたり痛々しい状況だったそうです。

二匹は正反対の性格

ピースケは完全に家族の一員として、というよりも実家の主人、守護神といえるような存在でした。

家の中の異変がないかチェックして闊歩するような堂々としているイメージです。
それでも抱っこされたりすると気持ちよさそうに甘えた声を出したりとどちらかというと社交的な性格だったと思います。



一方、ハナちゃんはとても人見知り、恥ずかしがり屋のにゃんこでした。
しかもピースケが若干気性が激しいのでよく追いかけられたりして大変だったかも知れません。



正反対な性格をもつ猫でしたが、奥さん家族から愛情をいっぱい受けていたと思います。

私と猫たちの最初の出会い

初めて私が猫たちと出会ったのは今から15年以上前、妻と付き合い始めてしばらくしてのことでした。

妻の実家に初めてご挨拶に行くことになったのですが、奥さんからはピースケという猫は宅配便のドライバーなど家に訪問してくるものには常に臨戦態勢で威嚇し、噛みついてくるから気を付けてね!と念を押されていました。

彼女の親とも初対面という状況でかつ猫の襲来に備えないといけないということで一抹の不安を抱えておりました。

そしてついに訪問当日がやってきました!

かなり身構えて訪問したのですが、何故かピースケは不思議と威嚇する事もなく家に通してくれた事を覚えています。お義母さんも「初対面の相手に心許すなんてほんと珍しいねぇ」と言われていました。

ハナちゃんとの初対面は、人見知りという事で家具の上に上がってなかなか近づいてくれなかったですが、時間が経つにつれ、猫じゃらしなどで遊んであげたりして少しずつ心を開いてくれたようでした。

何度か通っているうちに猫たちもより安心感が芽生えたのか、猫との戯れて癒しの時間を
過ごす事が出来ました。

時が経つにつれ、私たちも結婚し、子供を授かり、里帰りすれば常に猫たちが赤ちゃんを
興味津々に覗いてみたり、じっと見守ってくれた事がとても印象深い思い出です。
長女とピースケ
次女とハナちゃん
末っ子とピースケ

災難なこともあったけど

印象深い出来事といえばちょっとした災難もありました。

ハナちゃんは実家がマンションに引っ越した際に、引っ越し業者の人間が出入りして家具を取り出していく様子をみて非常に怯えてしまって、人見知りに拍車がかかってしまったり、ひどい歯槽膿漏にかかってしまい、治療のため首輪にラッパのような器具をつけられて不便な生活を強いられた時期もありました。

ピースケも基本的に室内で暮らしていたのですが、常に外の世界にも興味を持っていたのでちょっと飛び出して冒険していました。

ただ冒険をしすぎて自宅の場所がわからなくなってしまい行方不明となってしまいました。その時は家族総出でピースケ探しをしたことを思い出します。ピースケが見つかったのは怖くなってマンションの隙間に隠れ続けていたところをようやく見つかって、無事に見つかってほっと安堵したことを思い出します。

安らかに眠ってね

妻実家の家族、そして私たち家族から愛情いっぱいに暮らしたピースケとハナ。
猫たちの体を撫でてあげると気持ちよさそうにしている姿が目に焼き付いています。



猫たちとの別れは本当に悲しいものですが、妻や義母が出会わなければすぐに消えてしまったかもしれない命を一生懸命に生きた姿、思い出を胸にしまっておきたいと思います。